それから暫くして、ドラマの撮影を終えたミナムが、俺の元を訊ね来て、欧州の事情について聞いていた。
『ヒョンは、週末どうしてるのさ。テジュンと出掛けたりするの!?』
リビングに転がる玩具のひとつを拾い上げ、ハウスキーパーに連れ去られる背中を見送りながらそんな事を聞かれて返事をすれば、閉まりきった扉を見つめていた背中がこちらに向き直り、その顔に、その顔は、前にもずっと前にも見たことのある表情で、俺に言いたいことがあるのだと瞬時に悟った。しかし、それに応えるのは、昔も今もどうしても無理で、だからこそ、だからこそ、聞かなかった事にした。
『そうやって黙るのは、前と変わらないね・・・それって、肯定してるって事だろう・・・確か、俺、何年か前も同じこと言ったよ、ね・・・許せない・・・って・・・』
許さないじゃなくて許せないというミナムにそれは、邪魔はしないという事かと冷たくつき離した。そうだねと力無く返ってきた言葉に俺が返した言葉は、何だったのか。
『あの頃と同じことをしているんだろう!?けど・・・』
けど、それは、三人で決めた事だ。あの頃は、ミニョの意思などまるで無視していた。俺は俺の良い様に。シヌもまた己の欲に忠実であって、ミニョの逃げ道は、そこしかなかった。
『ミニョが決めれば良い事だって、俺、そう言ったんだ・・・そう言って・・・俺も逃げたんだ・・・』
アメリカに。それは、どんなに忠告されても俺から離れられない。俺を憎みきれないミニョの痛々しい姿を心を誰より甚(いた)く感じていたミナムらしい選択だった。
『・・・もう二度とあんな気持ち悪い思いは、ないんだとそう思っていたんだ・・・思っていたんだよっ』
語気を強めたミナムに少し驚いた。驚いて、そちらを見れば、目元を擦ったミナムから水滴が落ちていた。
『お、前・・・』
『あの頃、俺は、今と同じモヤモヤしたものを抱えていたんだ。それが、自分のモノで無い事は解ってたし・・・けど、どう頑張っても俺は、俺のじゃないそれを取り除いてやれなかったし・・・シヌひょんには、感謝したんだ・・・けど、けどっまさかヒョンとそうなってるなんてっ想像もしなかったんだよっ』
酷く胸を抉るミナムの声は、当時は、もっと低く唸り声の様だったなどと、そんな事を考えていた。考えながら痛く、傷(いた)く、ズクズクと柔らかい心臓を包み込み締め上げるその声にまるで針でも当てられてる様だと思いながらその顔を見つめ、あいつもそんな顔をしていた等と思っていた。
『・・・・・・・・・ミニョがシヌを選んだからか』
『結婚・・・・・・したんだぞ!そう思って当然だろう!幸せになるってそう思ったし!子供だって!!』
纏まらない思いと言うのか、上手く言葉に出来ず黙り込んでゆくミナムの言いたいことは解っていた。その答えは、それは、俺達の選択は、羽をむしり取られた蜉蝣のその最後の息を見ている様なもので、傍から見れば、残酷以外の何物でもないのだろう。しかし。
『それが俺達が出した答えだ。テジュンは知らない。まだ・・・・・・知らなくて良い・・・』
『ガキってのは、敏感なんだ。知らないって思っているのは大人だけだし、ミニョがここに来るのは三カ月に一度だろう・・・気付けなかった俺は、相当間抜けだ・・・』
自分を責めるミナムを見つめながら俺もまたテジュンを見つけた頃そうやって俺自身を責めていた事を思い出していた。良い考えなんて到底思いつかなくて、でもそこで笑っている赤ん坊は、紛れもない本物で、俺の子で、それをあんな場所に隠し、俺にもシヌにも一言も告げず、また笑っていたお前は、何を考えて、そう、そうさせた俺は、お前に何をしてやれるのか、まだ、俺を愛しているのか、あんな不自然な状況を、俺もお前もシヌも三人共にどこかで捨てきれない想いにしがみ付いて、誰が見ても聞いても異常な、けど、けれど、それが俺達の真実で、またそこに戻るのか戻れるのか、これは、それは、後ろ向きな選択かと、進みながら立ち止まり、過ぎた時を見つめ直して、けれど、決して振り返った訳で無く、止まっていた訳でも止めていた訳でも無い時の、ただ、その呼吸のその最後の息を飲み込んで、手に入れた。もう一度この手に戻ったものを今更放してはやれない。手放したくない。あの空間の、あの寂れたアンティークショップの、触れた蕾の震えた身体のその細い肩に触れた唇の、甘く、それを抱きしめた時に得た覚真は、もう二度と揺るがせない。
『ミニョの妊娠の事を言っているのか!?』
これ以上は無い程その黒目が落ちて来るのではないかと思えるほど大きく大きく目を見開いたミナムのその驚きを冷静に見ていた。
『知っ・・・て・・・』
『シヌも知っている・・・が、ミニョは、まだ隠しているぞ』
ミナムの驚きのその寸分も違わぬ顔をミニョもするのだろうとそんな事を考えながらその顔を見ていた。
★★★★★☆☆☆★★★★★
そのメールを見た時、やはりという想いが頭を過ぎった。予想を、こんな成行きをミナムのヨーロッパ行きを聞いてから何度考えたか、見事な迄に確信に変えたそれを何度も、何度も読み返しキーボードに乗せた手の、けれど動かせない手からベッドに移した視線の先でぐったり眠るミニョを視界に入れて立ち上がった。
『・・・・・・いつ・・・話すつもりだ・・・』
少しだけ苦しそうな呼吸に無意識で腹を抑えて眠る手を布団に戻し、その寝顔の安らかになる寝顔のどこに、どんな場所にそれだけのものを隠しているのかと探っていた。
『強い女だな・・・コ・ミニョ・・・強くなったのか・・・ならざるを得なかったのか・・・』
それは、元々のお前の性質か。それともやはり俺達がそうさせたのか。俺達だろうなとそんな事を考えながらその傍らに座り込めば、沈む振動に薄目を開けたミニョがこちらを見ていた。
『ん・・・ヨ、ボ・・・泣かない・・・で・・・』
また目を閉じてしまった顔にその顔の瞼の下の瞳を思い出して、その黒目が歪む様を何度みたのだろうかと同じ過ちは、決して繰り返さないと決めた決断をもう一度確固たるものにする為にパソコンに向かった。
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