『姫っ!姫―じゃなかったー、ミニョssiー、ミニョ様―』
敬称がころころ変わる声に籠から腕を引いたミニョは、開いた扉を振り返ると肩で息をするセロムに慌てて汲みに行った水を差し出した。
『ちょっ、大丈夫!?』
ゴクゴク勢いよく飲み干すセロムのケホケホ咽る背中を摩って、コップを受け取り、台所へ向かおうとした足が止まった。
『えっ!?』
『あ、きっ、昨日っ、あっ、ゆっ、昨夜・・・』
纏まらないセロムの頭を慮り、繰り返される昨日の出来事を振り返って、もう一杯の水を汲んでいた。
『昨日って・・・ジェルミの所に連れって行った人達の事!?』
特別変わった事は無かったと思い当たる事を口にして首を傾げた。
『そっ、そっ』
どれだけ慌てているのか、上手く口が回らないセロムは、精一杯深呼吸をした。
『シッ!シヌさまですっ!』
『えっ!?』
『ゆ、昨夜っ熱を出されていた将校!シヌっ様っ!シヌ様なんですよー』
『えっ!?え・・・』
状況を飲みこめない顔で、きょとんとしたミニョに今度はセロムが水を汲みに行った。
『おっお泊めしたお付の方が、今朝、事情を話されて、それで、ジェルミ様がミニョ様に・・・』
最期まで聞かずミニョは、家を飛び出していた。
数百メートル先の家まで全速力で走り、泥だらけになった服の裾を摘んで、息を吐き出し、玄関をノックした。
『・・・ミニョ様』
間を置かず出て来たジェルミが、ミニョの肩を掴んでくるりとひっくり返すと背中を押し、歩く事を強要されるミニョは、家の脇に立つ木の下へ連れて行かれた。
『むうぅ、何するのよージェルミー!呼ばれたから来たのにっ』
ふくれっ面でジェルミを見上げるミニョに呆れた顔から溜息が漏れた。
『確かにお呼びしましたがね・・・何なんですか!?その恰好!もう少し女らしくなさったらどうなのですっ!』
泥だらけの裾を持ち上げミニョに手を払われるジェルミは、俯く頭に怒鳴りつけた。
『うっ・・・お説教なら聞かな・・・』
『説教もしたくなるでしょう!貴女ね!自分の事を解ってますか!?昨日も木の上から落ちたそうじゃないですかっ!いつまでもいつまでもお転婆でっ!あなたに何かあったらどうなるのですっ!一人の体じゃないんですよっ!』
『うっ・・・解って・・・』
『解ってないでしょう!ミナムもねっ!テギョン様もですっ!ここに居なくたって貴女の事を心配されてるんですからねっ!!』
『う・・・』
ひとしきり一方的に怒鳴られ口を挟む余裕も無くミニョは、口を結んでいた。
その顔を見下ろし、自重したジェルミが背中を向けた。
『ったく・・・テギョン様のお気持ちが私には全く理解できませんよっ!あれほど淑やかな女はいないぞって、何処をどう表現したらあんな台詞が出て来るのかっ・・・』
『・・・ジェルミが知らないだけよ』
手振りで気持ちを抑えるジェルミに呟かれた一言が、じっとりした目つきを与えていた。
『知れるようにしてくださいよっ!黙っていれば綺麗だけどあなたって人はっ!』
『そっ、そんなことよりー!』
じーっと見つめられて肩を竦めたミニョが家を指差すとそちらに顔を向けたジェルミもまた肩を竦めた。
『・・・まだ、熱がおありです・・・残党の処理に出られて襲われたそうで・・・あんな少人数で動かれているのですから・・・早馬を走らせましたので、明日には迎えが来られると思います』
『会えないの!?』
『いえ、今暫く時を置けば会えます・・・今はまだ眠っていらっしゃいますから』
『そ・・・う・・・』
呼ばれたのは会えるからだと思っていた落胆がミニョの表情に浮かんでいた。
『大丈夫ですか!?』
『えっ!?』
ジェルミの心配そうな顔を見たミニョは、きょとんとした後、はにかんだ。
『ミナム様が私をこちらに戻されたのは、シヌ様が来られる事をご存知だったからですよ・・・貴女は、ここを離れたくないのでしょうが・・・』
『だっ、大丈夫よっ!もう少ししたらオッパの所に行くわっ!皆だって、いつまでもこんな場所に居たくないだろうしっ!我儘だって解ってる・・・けど・・・・・・シヌオッパとお話したいの・・・』
聞きたいこともあるとそれは声にならなかった。
テギョンの命を狙ってる人がいて、それが北の国の人間だとミニョが聞いたのは、ミナムが城を出た直後だ。
抵抗すれば良いとそう進言したが、これが運命だと聞き入れて貰えなかった。
何か隠してる。
そう思ったが、頑として口を割らないテギョンにそれ以上は聞かなかった。
そういう人だと知っていた。
だから、祈ったのだ。
もう一度会いたいと。
もう一度会うと。
何度でも、何度でも。
どこにいても必ず見つけると。
どんな姿でも。
胸に抱いた信念を曲げてくれる人ではなかった。
胸に抱いた女を突き放して去った人。
そんな運命まで繰り返されると思っていなかった。
『まぁ、お体の事もありますからね・・・今少し長旅は出来ないでしょうし・・・』
黙って立ち尽くしていたミニョにジェルミが声を掛けた。
ハッとして振り返ったミニョは、胸中を隠した微笑みを返した。
『こっここの暮らしだって悪くは無いと思うんだけど・・・』
『貴女が逞しすぎるからです。普通は、民と同じ暮らしを嫌がるものですよ』
『アッパがそういう風に育てたのよー』
『分け隔てない方でしたからね・・・お蔭で、我々も助かります』
『あ、ねぇ、アッパはずーっと薬を探していたの!?』
何故、テギョンと残ったのか、それはジェルミがミニョに伝えていた。
『ええ、長く患っていらっしゃいましたし・・・王妃もお生まれの時から体の弱い方でしたから・・・』
『オンマには滅多に会えなかったものね・・・』
ジェルミの返事は風に流れた。
ミニョの涙も。
この時しかないと精一杯愛したのだよ。
お前の運命は何かに縛られているのかもしれないが、崩そうとしているのもまたお前だろう。
永永と続ける気力は私には無いがそれがお前のお前達の愛し方なのだろう。
それで良い。
私達もまたどこかで会えるとそう思って生きなさい。
『うん!アッパにもまた会えるように祈ろう!』
『えっ!?何ですか!?』
膝を付いたミニョの上空へ白い鳥が羽ばたき、虚空を見上げ腕を伸ばしたジェルミの腕に舞い降りていたのだった。
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