シヌとテギョンが旅立って2年余り、あれから、ジェヒョンの政(まつりごと)は少しづつ変わり、城内で生活していた人々はその数を減らしていた。
南の戦地は、一時は落ち着きを取り戻したと知らされたが、終息には至っておらず、戦場は狭くとも戦火は、流れ者の数を増し、危険を承知で谷を渡る者、惧(おそ)れを抱いて僅かばかりの安堵を求め谷を渡る者を増やし、長閑だった国を僅かに殺伐とさせていた。
『うわぁー、まーた誰か入って来ちゃったのかなぁ・・・』
愛馬に少し待てと馬上を下りたミニョは、仕掛けていた罠に残る布の切れ端を拾い上げ、柄に手を掛け辺りを見回していた。
『ここまで来るのは、大変だと思うんだけど・・・』
罠の向こう側は、三方が切り立った崖だ。
遥か下に川が流れているが、落ちたらひとたまりもない。
『うーん・・・昇って来たのかなぁ!?』
訓練された兵士ならある程度は、登る事も可能かもしれないが、一般人がおいそれと登れる絶壁ではない。
それを見下ろしながら、小さな切れ端を見たミニョは、布を仕舞い込み、愛馬に跨った。
『後でジェルミに報告しなくちゃね・・・んん、それより今は・・・』
ニンマリ笑ったミニョは、馬の踵を返し、歩みを勧めた。
『ふっふっふっー、アッパとジェルミに止められていたから久しぶりなのですー!お前も!嬉しいでしょう!?』
嘶(いなな)く馬に笑顔を零したミニョは、辺りを警戒しながら森の奥へ向かっていた。
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『チッ!誰だよったく!あんな所に罠を仕掛けるかっ!警戒するならもっと賢い仕掛けを作れっ!』
辺りを見回しながら進んでいるテギョンは、木々に鞘を当て、開き、道なき道を歩いていた。
『・・・迷った!?』
方向音痴だと自覚の無い頭が横に振れ、かろうじて見える尖塔を視界に入れた。
『ふっ、俺が迷う訳が無い!あそこを目指してるだけだ!』
誰も聞かない言い訳を呟いて進み、開けた泉に辿り着いていた。
『・・・・・・見覚えがあるな・・・』
傾く首で暫く考え込んだテギョンは、おもむろに服を脱ぎ始め、近くの岩場に立つと笑顔を浮かべて放物線を描いた。
『・・・・・・・・・ぷっはぁー、気持ち良いなぁー・・・何日ぶりだ・・・』
久しぶりの沐浴に体を沈め、空を見上げて大の字で浮いたテギョンは、戦場からこちら、旅をして来た道中を慮っている。
『ふ、シヌは今頃どうしているのか・・・』
戦場を離れて一月あまり、テギョンの当初の考えは実を結び、王族という大義名分を背負ったシヌは、テギョンを担ごうとした人々に受け入れられ、むしろテギョンよりもその人望を集めていた。
『あいつは、人たらしだからな・・・』
自覚が無いと笑うテギョンは、シヌも同じ感想を持っている事を知らない。
取り替えられたふたりの運命は、それぞれの先を見つめ、抗う事を求めたシヌの軌道を再び変えさせた。
果たしてそれは、誰が求める命の運びか。
空を見つめるテギョンの目には、白い月が浮かんでいる。
『誓いはまだ有効か・・・』
呟きに瞼を閉じようとしたテギョンの耳に大きな声が聞こえたのはその時だった。
『ふっ、ふっ、ふー!!!久しぶりですぅ!!!』
ジャボンという大きな水音と馬の嘶き、掻き分ける水に潜って浮き上がり、それを繰り返しているミニョは、生まれたままの姿ではしゃいでいた。
『きゃー、気持ち良ーい!』
パシャンパシャンと愛馬に水を掛け、戯れているミニョは、長い髪を解き、頭を振った。
『ふっふっふっふっー!私しか知らない場所ですからねー!こーんな場所まで来れる人は他にいませんっ!お前も秘密は守らないとダメですよー』
仰向けに倒れ込んだミニョは、脚をバタつかせ暫く泳いで、やがて上を向いたまま目を閉じて浮かんでいて、それを見ていたテギョンは、ニヤリと頬をあげ音も無く水中に潜って行ったのだった。