「アッパー!ここわかんなーい」
テギョンの座るソファの前のテーブルにドンと譜面を置いたリンが、鉛筆の天辺を振って、ジーッと見上げている。
自身も鉛筆を持って、考え事をしていたテギョンは、ギロッと冷たい視線をリンに投げると小さく溜息を付いて何処だと聞いた。
「ここ、このミのフラット! なんで、ここに入ってるのー」
「ミのフラット!?」
リンがテギョンに見せているのは、リンが作曲した曲にテギョンがアレンジを加えた物で、詩の幅を広げる為に削れる物は全て削られ、最低限の音だけを残した譜面だった。
「こっち削ったら、わかんなくなっちゃうよー」
たった、一音にこだわるのは、テギョン譲りというか、耳が良いだけに、感性を刺激されるのか、不満そうに見上げている。
「その音じゃ、気持ちが下がるだろうが」
テギョンは、傍らに置いていたギターを持ち上げると、その違いを弾き語りで聞かせた。
「どっちが良かった!?」
「・・・・・・後のほう・・・」
不満そうだが、耳が良いだけにその違いはすぐに理解している。
「ピアノだけで演奏する訳じゃないんだ!そこも考えて作曲してこい!」
イラついてリンに当たるが、リンも心得たもので、わかったーと笑顔で返事を返してまた元の位置に戻って行く。
最近のテギョンは、リンの書いている物にアレンジを加える事が、一つの仕事になっていて、A.N.Jellの作品よりもリン達の子供バンドの仕事が主流になっていた。
「チッ!ミニョの歌が出来ない!」
ミニョの仕事復帰とともに歌手活動も再開すると発表したのは、つい先日の事だ。
もともと、モデル業だけを中心に遣らせていたので、歌手は、あくまでおまけだったのだが、A.N.Jellのステージに一緒に立つ事の多かったミニョのファンは、それなりに根強く残っていて、発表と同時にまた、サイトがパンク状態だったとアン社長から嬉々とした報告を受けていた。
「ったく、ミニョは、俺のだぞ!」
ぶつぶつと、独り言を言いながら、それでもミニョの為にと新しい曲を考えては潰し、日がな一日考え込んでいる。
そんなテギョンの傍らでノートに書き込みをしているリンは、独り言が増え始めたテギョンに首を傾げて指を差すと変な顔と言って走り去ってしまった。
「チッ・・・なんだよ・・・ったく」
子供に莫迦にされた事に不満そうな顔をしているテギョンは、ふんと鼻を鳴らすと、天井を見上げて、ミニョと小さく名を呼んだ。
「あいつの声を最大限に引き出せるのか!?」
閉じられる目の奥でミニョを思い出しているテギョンは、溜息を付いて、瞼を上げた。
「ミナムと同じじゃ・・・ダメだよな・・・」
似たような声域を持っていても男と女、それに、何より摩り替えた『言葉も無く』の音源を詮索される事だけは避けたかった。
「アレは、封印したものだからな・・・」
それが、テギョンを悩ませている一つの要因であった。
「全く違うものか・・・」
★★★★★☆☆☆★★★★★
「明るい曲が良いんじゃないの!?」
「ポップな感じか!?」
壁に背中をつけて腕を組んだテギョンが、前に立つジェルミとミナムに聞いた。
「踊るのは・・・無いよな・・・どんくさいし」
ミナムが、フラッシュの中で笑顔を振りまいているミニョを嬉しそうに見つめ、前に設置されたバーに腕を重ねるとそこに顔を乗せている。
「そうかな、一緒にレッスンしてた頃は、そうでもなかったけど」
シヌは、テギョンの横に立って、片手を壁につけ斜に構えて立っていた。
「あれから何年経ってると思ってるんだ!」
テギョンが、ジロリとシヌに視線を向けると溜息混じりに首を振って、額に手を乗せた。
「でも、恋の歌だろ!?」
シヌは、嬉しそうに光の中に戻ったミニョを見つめている。
「そうだね・・・甘い歌が聞きたいな」
懐かしむジェルミも嬉しそうにバーに手を付いて見つめていた。
★★★★★☆☆☆★★★★★
A.N.Jell揃い踏みでそんな会話をしたのは、ミニョの記者会見を見つめながらだった。
笑顔を振りまいて、アン社長の横に立つミニョは、引退前と全く遜色なくて、質問される事にもそれなりに逃げ道を作りながら堂々と答えていて、リンやテギョンの事を質問されても笑顔で、プライベートは、お答えできませんと言っていた。
それでも、歌手活動に話が及ぶと、当然の如く、作詞も作曲もご主人ですよねという質問が飛び、はにかんだ様にテギョンの方を見つめてはいと答えていた。
「ミニョに歌って欲しい」
それは、最初の出会いの時に、契約書の向こう側から発せられた声に驚き、息を呑んだ時の感覚が忘れられないからでもあるのだろう。
「ミナムとは・・・違う」
A.N.Jellとして発表する曲は、ヒットチャートでも必ず上位に入る。
それは、同時にテギョンの作る曲が、まだ廃れてはいない事への証でもある。
「チッ!考えてもダメだな!」
テギョンは、立ち上がると、過去の音源が詰まったCDを聞くためにラックに向かいかけ、扉が開いたことに気付いて、後ろを振り返った。
キョロッと中を覗き込むようにジェルミが顔を出すと、ヒョンと呼んで、近寄って来る。
「なんだ!?」
CDを摘み上げながら、書き込みを確認しているテギョンは、顔を上げる事無く聞くと、ジェルミが、うんと歯切れの悪い返事をした。
「あのさ・・・ヒジュンソンベと何か約束してる!?」
「約束!?」
「うん、今日なんだけど・・・」
「いや、特にはしてないな!子供達の練習も明日だろ!?」
大して気にする風でもなくテギョンが答えると、ジェルミが後ろを気にしながら笑っている。
「そうだよねー・・・」
「何だよ!」
変わらず、歯切れが悪く、立ち去る風でもないジェルミをテギョンが睨みつけた。
「来てるんだけど・・・」
顔だけでなく全身で振り返ったテギョンの首が傾いて、目も細められている。
「それで、俺達にレコーディングしてくれないかって言ってるんだけど・・・」
「レコーディング!?」
「うん!ソンベの歌なんだけど・・・何か・・・聞いてない!?」
「いや・・・」
怪訝な顔をしたテギョンは、左右に瞳を振ると何処だと静かにジェルミに聞き返し、スタジオと言われて、数度頷くと、CDを元に戻して、練習室を出て行ったのだった。
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