「マスター!いつものヤツでお願い!」
長年の顔馴染みにそう声だけを掛けて、いつもの指定席へ座り、リクエストがあるわけでも無いギターを時折自分の作品を交えながら、スタンダードナンバーから弾いていく。
深夜のバーに集まる客は、既に何軒か廻ってきた酔いどれた客だったり、男と女と睦言を交わしながらの客だったりとユンギのギターを聴いている者も少ないが、それでも、ここがナイトクラブも兼ねているせいか客筋は悪くなかった。
少ないながらも真剣に聞いてくれる者もいたし、何より長年この指定席で弾いているユンギのファンだという者もいた。
スペードを立ち上げてから、彼女と良く通っていたステージ。
今はもう隣に立って自分の歌を歌ってくれる人はいないけど、それでも、何かを求めて、ここへ通っていた。
ステージに立つ彼女を想像しながら弾きこむ音色は、どこか、もの悲しいメロデイーが増えたが、それでも、かつての明るいナンバーも折込んでいく。
「・・・今日は、ダメかな・・・」
なんとなく、気分が乗らない日だった。
昼間の仕事が上手くいって、新しい契約も取れたのにそれに反してなのか、ギターを弾く指がどこか億劫になっていた。
軽い曲ばかりを弾いていく。
数曲弾き終えたところで、いつもの様に客に挨拶をするわけでもなく、カウンターに座ったユンギは、用意された氷水をゴクゴクと飲み干す。
「ぷはー!旨いねここの水は!」
「何、馬鹿なことを言ってるんだ。酒屋で酒を飲まないんじゃ内は商売騰がったりだ」
常連客のボトルをチェックしながら、マスターがブツブツ零すが、それにヘヘと笑うユンギは、氷の残ったグラスを見つめている。
「貢献はしてるけどな!」
ボトルを入れてる客の殆どは、ユンギのギターを聴きに来ている常連客ばかりだった。
「ふん。お前も音楽だけやれてたら今頃は・・・」
「それは、言わないで・・・」
マスターの言葉に覆いかぶさるようにそれを止める。
「この頃、また考えることもあるけど、彼女が、ああなったのも僕に力がなかっただけで、今はさ、会社のことだけで良いんだ!ここで、息抜きもさせてもらえるし!」
おかわりと言いながらユンギが、マスターにグラスを差し出した。
「ああ」
背中を向けたマスターをひとしきり見つめたユンギは、何気なく広い店内を見回して、ふと、店の片隅にいる女性に目を奪われていた。
その女性は、特段、心を奪われる程の容姿をしているわけでもなく、ただグラスを傾けて、ユンギのいたステージを見ている。
首を傾げるユンギは、体を半分だけカウンターへ戻し、マスターに話かけた。
「ねぇ、マスターあの子・・・」
何というわけでもないが、何かに惹かれるように聞いていた。
んと少し遠いその席を見たマスターは、ああと話始める。
「ここ、2、3日来てるな、あの子も酒を飲むわけでもないから、お前のファンじゃないのか!?」
「随分、若そうだけど・・・」
「そうか!?」
マスターは、素っ気無く返事をするけど、全く気にしてないわけでもないらしく、カウンターに手を置くと少し身を乗り出すように前屈みになった。
「だけど、あの子を思い出すような子なんだよな・・・・・」
そう話始めたマスターは、手招きするようにユンギの顔を近づけさせる。
「初めて来た日にちょっと事件があってな・・・」
んッと背中越しに聞こえる声に体をそちらに向けるとマスターと目を合わせる。
「ちょっと酔っ払いの客が、あの子に絡んだんだよ・・・」
「えっ!?」
「いつもは、内の従業員が止めに入るんだけど、丁度その時誰もいなくてな・・・あの子に絡んだ客が、肩を掴んだんだ!そしたら・・・」
「そしたら・・・!?」
「あの子、もの凄い速さの英語でまくし立てたんだ・・・正直俺も何言ってるか全くわからなかった。客もそれに驚いたのか、絡むのを辞めたしな」
「えっ!?」
首を振るマスターの顔を見て、もう一度その子を見たユンギは、眉を寄せて、何かを考えている。
「旅行者なのかな・・・」
「さぁな!?気になるなら声を掛けてみれば良いじゃないか」
「・・・う・・・ん」
ユンギは、置かれたグラスを持ち上げて、再び煽るとギターを掴んだ。
女性のことは気になったが、ステージに向かって指定席へ座る。
何を弾こうかと少し考えたユンギは、柔らかくストロークを始めると、バラードを歌い始めた。
ユンギが、声を出すのは非常に珍しく、常連客からたまにリクエストされても断り、一切受けない為、その声に店の客達が一斉にステージを見た。
常連客の中には、手を組んで、嬉しそうな微笑を見せて見入っている者もいる。
「うそー!唄ってくれるなんて!」
「今日来てラッキーじゃない!」
「珍しいな・・・」
そんな声が、聞こえている。
片隅でグラスを傾ける女性は、スタージを凝視して持ち上げたグラスごと固まった様になっている。
一曲が終わり、また、スタンダードに戻っていくユンギは、自分でも首を傾げていた。
「・・・なんだろう・・・」
また、数曲を連続して弾き、ふと、隅の女性を見ると立ち上がってカウンターへ歩いていく。
マスターと何かを話、紙のようなものを渡すと再び席へ戻って行った。
その様子を見ていたユンギは、最後の一音を奏でると、また席を立った。
カウンターへ戻り、用意された新しいグラスを煽ると、マスターが、紙を持って近づいてきた。
「やっぱり、お前のファンだな」
そう言って、白い紙をユンギに渡した。
「リクエストだそうだ」
ふーんと何気なくその紙を見たユンギは、視線だけで全てをざっと見て、固まってしまった。
「こ・・れ・・・」
やっと搾り出したような声が漏れた。
「どうした!?」
マスターが、声を掛けるが、驚いているユンギは黙ったままだ。
あまりの驚きに紙を持つ手が震え始めたユンギは、左手で右手を掴むとその震えの元を確かめるように後ろを振り返った。
変わらず、そこに座る女性は、両手を併せると口元にあて、目を閉じて、何かを待つように祈るように座っている。
その姿を見たユンギは、何かを確信したようにもう一度水を煽って唇を手で拭くとギターを掴んで、ステージへと上がっていった。
★★★★★☆☆☆★★★★★
―umbrella
傘をなくしたんだ
ずぶ濡れで
君の前に立ったけど
気付いてたんだろう
僕がその傘を誰かに揚げてしまった事
ばかねって言って笑ってくれたけど
君に心配してもらうことが
嬉しくて
故意にあげてしまったこと
寒いと笑う僕にシャワーを使わせて
抱きしめて眠ってくれたよね
まだ若い僕は
君に心配してもらうことが
とても嬉しかったんだ
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